香取神宮

2019.08.21 アリアファクトリーブログ

皆様こんにちは工場のハムでございます。

先日、神社紹介のリクエストを頂きまして。

まあいつも本業から外したネタばかりの私ですが、そんなに詳しくもない神社ネタでも、ちゃんと読んで頂けてるのかと。ちょっと嬉しくなった次第でありまして。

そのリクエストされた方が、趣味で乗られている自転車で行ける範囲が良いかな。というわけで、今回は千葉県香取市に鎮座する香取神宮を紹介してみたいと思います。

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(社殿 重要文化財)

香取神宮は、いつも参拝の参考にしている延喜式神名帳において、三社しかない神宮のうちの一社です。以前も書きましたが伊勢以外の神宮格は、当時の国の中心から遠く離れた利根川河口を挟むように、鹿島、香取と鎮座しているのが以前から不思議なのですが、それに触れると話が更に長くなりそうなので、またの機会にしたいと思います。

また、香取神宮に祀られている経津主(フツヌシ)神は、日本書紀には登場するが古事記には登場しない(古事記では、経津主神の別名であるイハイヌシをタケミカヅチの別名とし、二神を混同している)、誕生の経緯が血生臭い、物部氏との関係など、謎めいた部分がいくつかありまして。それらに触れていくと解説の難易度が結構高くなるなと。それで紹介するのに二の足を踏んでいた神社であります。でも折角リクエスト頂いたことですから、ちょっと頑張ってみます。(笑

まずは経津主神についてなのですが、謎な割には多方面から考察しなければならない神でして。生誕時の暗示めいた記述、物部氏との関係、日本書紀中で主役になる国譲りの話の順番で説明していきたいと思います。

まずは生誕から。伊弉諾(イザナギ)神が軻遇突智(カグツチ)神を斬った時、血まみれの岩から生まれた神の二代後が経津主神です。ということは、伊弉冉(イザナミ)神の四代後で天ツ神の系統ということになるのですが、後に伊弉諾神の禊から誕生する素戔嗚(スサノオ)尊や大日孁貴(オオヒルメノムチ)尊の生誕時とは真逆の血生臭さで、経津主神は他の天ツ神とは異質な剣と血(即ち戦?)の象徴であり、それを祀る氏族の攻撃性か何かを暗示しているかのようです。

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(楼門 重要文化財)

で、この神は物部氏との関係も連想させます。物部氏の本拠地であっただろう奈良の石上神宮には、布都御魂(フツノミタマ)神が祀られており、こちらも剣が神格化された神であることと、似た名前から関連を想像するのは自然だと思います。少し検索すれば、多くの方がこの経津主神と布都御魂神が同じと解釈しているのですが、この二神が同一神だとすると、それぞれ有名な話である国譲りと神武東征の両方に、経津主神が鍵にもかかわらずバラバラな関連をしてしまうので、書紀の記述の解釈が難しくなってしまうのです。

日本書紀で経津主神が主役となる国譲りの場面では、大国主神に国を譲れと迫る側です。

一方、物部氏の始祖は饒速日(ニギハヤヒ)命。瓊瓊杵(ニニギ)尊と同様に天孫の証を持ち、天から河内に降臨した神です。そこから奈良の大和に移り、神武東征では初代である神武天皇に大和の国を譲る訳でして。神代記では国を得る側だったのに、人代記では神武天皇に服従し譲る側になるということで、その過程で経津主神の立場が入れ替わりながら、国を譲られ譲りというストーリーが二周していることになります。更にその東征の途中では、進軍中に起きた神武天皇の危機に布都御魂剣を提供し、自分の子孫と戦っている相手を応援していることになってしまうので、私見ですが経津主神と布都御魂神は似てるが別の神とした方が良いのかもしれません。

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(本殿)

 日本神話でトップクラスの武神だからでしょう。鹿島神宮の武甕槌(タケミカヅチ)神と共に徳川幕府の崇敬が厚く、両社とも幕府の寄進で大規模な造営が行われています。

香取神宮は1700年、徳川綱吉の時代に社殿や楼門が造営されたそうで、他では中々見られない黒漆塗りの社殿は、流石武士の造営と思わせる質実剛健さと鎧武者のような凄みに溢れています。

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(楼門の額 東郷平八郎筆)

古代日本史の集大成である日本書紀の記述を思い出しながら、その名残を求めて古社を参拝するのが、いつの間にか習慣のようになってしまいました。

これは重症かもしれません。(笑

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